MY STORY2) 「空っぽ」のお誕生日会

我が家は
1月から3月が
家族4人のお誕生日ラッシュ。

年末年始ですから、それに加えて
クリスマスやお正月、そして
香港では旧正月もあります。


イベントが集中するこの季節、
二人の幼い子供と
出張で不在がちな夫がいる私にとっては、
段取りや準備に気が張ります。

ある年の、息子の誕生日のことです。

ケーキとキャンドルと、夫と子供たちの笑顔。
写真を撮ろうとしたそのとき・・・

突然、鼻がツンとして
胸がキューッとなって、
いきなり涙が溢れてきました。

幸せの嬉し泣き?


いえ、そうではなかったんです。

涙と一緒に溢れてきたのは
心がちぎれる様な
ひとりぼっち」で「惨め」という
気持ちでした。

おかしいですよね。
夫も子供もいるのに。
家族の「一番いい日」なはずの
子供の誕生日なのに。

でも

家族を喜ばせ、写真を撮っている私は
体でやってることに
心がついてきていないような・・

私は、多分、空っぽでした。

子供の誕生日に、
嬉しいとも幸せとも思っていない本心に
気づいてしまった。


いえ、薄々気づいていたんですが・・・
無意識のうちに
いろいろ被せて蓋をして
頑張ってきたんだと、思います。

でも、もう誤魔化せないほど
一杯一杯だったんでしょう。

ここが私の居場所なのに
「こんなのが、私の居場所じゃない!」

これが私の役割なのに
「こんなのだけ、やってたいんじゃない!」

・・という、認めたくない本心が、叫びが、
涙になって、溢れてきたんだと思います。


でもやっぱり、
その叫びは、胸の中にしまったままで、
声に出して夫に伝えることは
しませんでした。

だって、きっと、
わかってもらえないから。



その頃は、私は
ソーシャルな場に出ることに
引け目を感じるように、なっていました。

ある時、夫の会社の食事会に同伴し
夫の仕事仲間や、奥様たちと
テーブルを囲んだ時が最初でした。

ママ友以外の人とお話しして、
初めて自分には
話題がなくなってしまっていたことに気づき
ゾッとしました。

私の毎日は
カップケーキを焼き、
ママ友と、子供の習い事や学校のあれこれの
情報交換で、1日終わる。

家と子供と生活以外の新しい経験が、
私には、ない。

私の役割を
一生懸命、頑張れば頑張るほど
つまらないおばさんになっていく・・・

かつては仕事が大好きでした。
上司や仲間がいました。
仕事を通じて、日常を超える体験に
自分を丸ごと使っていました。

そんな自分は、もういなくなり
半径数メートルの世界だけで生きている。

ひとりぼっちで、惨め・・


自分の本心に一度気づいてしまったら、
そこからは関を切って流れ出すように
もう止まらなくなっていくんですね・・

そして、
私をつまらないおばさんにした
家族との時間が、辛くなっていったんです。

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