MY STORY3)自由とは「自分で選べること」

私は20代半ばで
インドネシアに出てからというもの
生活や仕事は、英語でやってきました。

それもあって、
世界のどこでも
やっていける自信はあったんです。

結婚した時も、
夫の出身地のことなど
気にもしていませんでした。

結婚した時
夫との決め事は、二つありました。
①太らないこと(笑)と、
②将来は、親の住むモントリオールに帰ること。

結婚後は毎年、家族で
夏休みや冬休みに
夫の実家を訪れていました。


夫はカナダ・モントリオールの出身です。
モントリオールのあるケベック州は
ユニークな存在で
他の州と比べて、独自色がとっても強い。

フランス移民が多く
現在の公用語もフランス語です。

私は、フランス語ができません。
土地や通りの名前はもちろん
メニューの内容、お店の表示、
機械の操作・・・
とにかく目から入る情報が
いちいち、全く、理解できませんでした。

行きたいところがあったとしても、
通りやお店の名前は、読めないだけでなく
発音もできないので、伝えることも難しい。

教えてもらっても、
分からないし、覚えられない。

だから、いつも夫と一緒に
行動していました。

この不自由な感覚、
きっとあなたにも
わかってもらえないのではないかしら。

だって私自身も、
経験するまでこんなに大変かと
全く想像もできなかったんです。

さらに、
車の運転ができなかった私。
これまで生活してきたシンガポールや香港は、
メトロやバスを気軽に使って
ちょっとした用事も
子供の習い事や病院、買い物、
友達に会いになども
効率よく、どこへでも出かけられるのが
当たり前。

でも、何もかもが大きく、広く、
遠いカナダでは
そうはいきません。

家を出るには
車でないと何もできない。

香港なら、誰に相談するでもなく
自分でサッとできてしまう様なことでも
夫が気乗りしなければ
夫と予定が合わなければ、叶いません。

辛抱強く待ち、辛抱強くお願いし続ける。
チャンスを探し続ける。
もしくは、諦める。

そんな小さな小さな我慢が、
薄紙を重ねる様に、じりじり積もっていきます。

毎年訪れるたびに、
耳からも目からも
「情報が入ってこない難しさ」や
「人に頼らないと何もできない不自由さ」を
ひしひしと、実感するようになりました。


ある年の、年末のことです。
義父の具合が良くなくて・・・
私たちは急所、夫の実家に
数ヶ月滞在することになりました。

夫は実家から仕事に出て
相変わらず出張で世界を飛び回ります。

私は義両親と一緒に
3歳と0歳の二人の子供たちと
夫の実家に残ることになりました。

雪深い冬なので、
私は家から一歩も出ない日が
3ヶ月続きました。

育児と家事と看病をして
毎日過ごす
同じ空間で同じことの繰り返し。
1時間、30分過ぎるのが、とっても長い。

知り合いも話し相手もいない。
変化も、楽しみなことも何もない。

与えられたものの中で、満足するしか
選択肢がない。




1日のうちで
一番大きなイベントは、3時のコーヒー。

なぜかというと、
大きな缶に、いろんな種類の
クリスマスクッキーが入っていたから。
「どれをにしようかな・・・」
一つか二つを拾って、ソーサーに置きます。

それが私の、唯一
「自分で選べること」でした。

でもそのクッキーも、
日が過ぎると共に、
好きじゃない
ホワイトチョコのクッキーばかりが
残ってしまいました。


義母の買ってきた
私には使い慣れない食材で

ご飯を作り、離乳食を作り置きし、
食器を洗い、掃除をし、
子供と義父のお世話をする。

機械のように、それを
来る日も来る日も繰り返す。

新しい出来事も、
他の人との関わりもないので
義母との話題も、もう尽きてしまいました。

笑うことも無くなっちゃった。
でも
悲しんだり、怒ってもしょうがないし・・・

そうだ、
唯一心が動いたことがありました。

久しぶりに出張から帰ってきた夫に
息子が興奮して
階段から落ちて、唇を切ったんです。
血は止まらないわ
息子はワーワー泣くわ・・・

あの晩、
ワーワーと大声を出して
泣き叫ぶ息子が、羨ましかった。
私も、思いっきり泣きたかった。

でも、泣いたってどうせ
まだここにいるんです。
この閉じ込められて
繰り返す平坦な生活は、続く。

自分で選べるものが、全くない状況の中で
キリキリするほど、思い知ったこと。
それは

自由」って、「自分で選べる」ことだったんだ

強く、深く、
心に、刻み込まれました。


あれから、また香港に戻り、日常に戻りました。

専業主婦という新しいステージを
それなりに面白がっていた私でしたが、
あの冬の経験は、
確実にやってくる未来を
リアルに体験した3ヶ月になりました。

「あの時は大変だったな、でも忘れよう」
というわけにはいかないんです。
だって、
あの生活が、将来は日常になるんです・・

私の心に、一点の墨がぽたりと落ちました。
その黒い点が
将来の不安として
じわじわ広がっていきます・・・



夫や子供たち、義両親は
きっと、幸せになる。

でも私にとっては、
仕事も、これまでの経験も、
大切な人たちとの関わりもなくなってしまう。


なんでもできた自分が
何にもできない自分になる。

頑張っているこの先に
嬉しいことなんて何もない。
こんな生活が、私の一生のゴールなら
私は毎日、一体何に、こんなに、
頑張っているんだろう。

私は結婚で、
人生をダメにしてしまったのではないか、と
思い悩む様になりました。

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