MY STORY5)周りの人とつながっている

「潜在意識」という捉え方によると

” 周りで起きていること・周りにいる人には
 自分の内側が映し出されている”

この言葉が
ストンと落ちたことがあったんです。
その最初のハッとする体験は
子供たちから起きました。

こんな出来事が、あったんです。

娘と出かけて、帰宅した時に
私がイヤリングを片方落としていたことに
気づいた。

まぁ、しょうがないか。

それなのに、娘は
「お母さんがかわいそう、お母さんがかわいそう」
と言う。

そして、私が止めるのを聞かずに
宿題をほったらかして
今きた道を、駅までたどって探しに行った。

 優しく、気が利くのはいいけれど・・・
 イヤリングなんて、別にいいのに。
 それよりも、
 肝心の自分の宿題をやっていないじゃない!
 自分のやるべきことに時間を使ってよ!


私のためを思って
良いことをしに
大きなミッションを果たしに行った風の
娘の様子に、これ、言っていいのかどうなのか。

私は苦笑いしてしまいました。

そしてふと気づいたんです。
「娘のやっていることは、
 私のやっていることと、同じだ」
って。
「肝心の自分のことを
 ほったらかしにしている」
じゃないですか!

自分をおざなりにしているのは、私そのもの。

優しいとか、気が利く、をやりすぎて、
家族のお世話をすることに
自分を使い続けているんだ。

いいお母さんとして当たり前だと思って
自分で「やりすぎている」という
自覚がなかった・・

自分で気づくって
人に100回言われるよりも
ハッ!とするものですね(笑)。
だから、こんな小さな出来事なのに、
何年もたった今でも
覚えているんでしょうね。

それから、日常で
ハッ!とすることが
どんどん増えていく様になりました。

” 周りで起きていること周りにいる人には
 自分の内側が映し出されている”

と、どんどん気づくようになります。



こんな出来事もありました。

その頃の私は
心理学の講座を受けていました。

ある日先生から
「陽子さんは完璧主義なんですよ。
 だから自分にダメ出しをして、苦しいんですよ」
と指摘されました。

完璧主義?
私なんて大したことないのに。
求めてるレベルだって、そんな高くないし・・
当たり前のことをしてるだけじゃん。

でも先生は
「やりすぎだから苦しいんですよ」と言うのです。
(・・・そうかなぁ)
私は、先生の言うことが
受け入れられませんでした。

そんな、ある晩のこと。
息子が泣いているんです。
聞くと、数学の宿題ができなくて
一人で困っているようでした。

そして、こう言うのです。

学校で習った問題は、解けて当たり前なのに
解けないのは、自分がダメ。自分が悪い。

自分が悪いんだから、
先生に聞いちゃいけないでしょ。
でも、できない・・

そう泣いている様子に
私はびっくりしてしまいました。

できないんだったら、聞けばいいんだよ。
分からないことを教えるのが
先生の仕事なんだから。

先生は怒らないよ。
何回聞いてもいいんだよ。
先生じゃなくても
ママでもパパでもいいんだよ。

分からないのは、悪いんじゃないよ。
一人で困んなくて、いいのよ!


・・・と、言いながら、
私はこの時も、ハッ!としたんです。

「息子の姿は、そのまんま私だ・・」

「できて当たり前
 できないののは悪いこと」
「自分が足りないのだから
 自分でなんとかしなきゃ」って、
責任を負って頑張っていたのは
すっごい独りよがりだったかも!

「周りにいる人に
 自分の内側が映し出される、とは
 こういうことだったんだ・・」


そうだ、当時、アメブロを書いていたんです。
拙い文章で恥ずかしいですが
この日のことを書いています↓
【実体験】私の完璧主義からの長男の涙


これまで
なーんとも思わず流れていっていた
子供たちの、ふとした日常の様子。

こうして、子供たちや夫に感じること
気持ちが動くような出来事を通じて

「物事をどう意味付けし
 →どんな感情が湧き
 →どんな行動をとるか」という
「自分のやり方」

が見えてくるようになりました。

周りを見ると自分がわかる。
人がやって見せてくれると、
ああ・・ホントよくわかるんです(笑)。


これまでの日常が、
私の意識していない
潜在的な部分を映し出す
「劇場」を観ているような感覚・・
と言ったらいいのかしら。


その中には、やり続けることで
自分がキリキリし
ギスギスする方向に進むものも、ありました。

私、「やりすぎ」のものも、あるんだな・・
これを変えていったら

もっと自由になれるんだ・・

そして、潜在的に持っているのに
「持ち腐れ」になっている力にも
気がつく
ようになっていきました。

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