MY STORY1)専業主婦になるまで

「日常」とは、
どこまでをいうのでしょう。

「日常」とは、
「自分の家族と、友達と、その半径数メートルで起きる出来事」だとしたら・・

「日常を超える世界」を経験ができるのが
私にとっての「仕事」。

仕事では
一生をかけても、
私の半径数メートル以内で
すれ違うことのないような人と
机を並べたり、

私のお財布や口座とは
スケールの違う金額を
動かす企画に関われたり、

私の脳では思いつかないような
価値観やビジョンの船に
乗ることができたりするでしょう?

仕事って、すごいな!
仕事って、面白い!
私は仕事が大好きでした。

振り返れば、私はずっと、
主役をサポートする働き方を
しているな、って思います。
私の上司や仲間には
いつも素敵な主役がいました。


大学卒業後
初めての仕事は
大阪で不動産開発の秘書室勤務。

社長室へ入る前の数分間、
役員や部長たちが、秘書室で
最後の擦り合わせをしたり
ネクタイを締め直したり、
秘書室長と何やら打ち合わせたり。

男性中心の、ダイナイックで、
硬く、厳しい世界です。

私と同じ様な友達が集まる学生時代から
都市やリゾートを作るプロが集まる世界へと
私の日常は、がらりと変わりました。

ところで、学生時代から、私には
「インドネシアで生活したい」という憧れがありました。

話すとびっくりされることが多いんですけど
私は外国語大学で
インドネシア語を専攻していたんです。

学生時代は、バイト代を貯めては
バックパックひとつで
インドネシアへ出かけていたものです。

憧れは、社会人になっても、
色褪せるどころか
ますます恋焦がれ・・

20代半ばで海外転職をし
インドネシア・バリ島のリゾートホテルへ。
ホテルへ直接メールをして、
面接のために飛行機に乗り
ポジションをゲットしました。

ここから私の海外生活が始まります。


バリ島では、インドネシア人の上司・同僚と
ホテル開業に汗をかき、
オフの日には、大好きなバリ島での生活を味わっていました。

でも、間も無く・・
インドネシアの経済危機が起こったんです。
バリ島でも、暴動が起きたり、
観光客の足が長く途絶える状況に・・・

インドネシアの大きな「うねり」の中、
外国人には
身の安全も不確かな状況が続きました。

「大好きなインドネシアを、好きなままでいたい・・・」
そのためにも一旦距離を置こうと、シンガポールへ。

お客さまとの一期一会を大切にする
ホテルならではの仕事も素敵でしたが、
積み上げのある仕事が恋しくなり、
新天地では、迷わず
オフィスの秘書職へと戻ります。


そして、
シンガポールで3回目の転職活動をしていた時に
現在の夫と出逢いました。


面接の日。
緊張して出向いた、とある銀行。
面接をする側(夫)と
される側(私)として向かい合って座ったのが
私たちの「初めまして」だったんです。

私の上司になるかもしれなかった人は
1年半後、私の夫になりました。

結婚後、
私は専業主婦になり
夫の仕事で、香港に引っ越し
二人の子供の母親になりました。

専業主婦は
とにかく、朝から晩まで、忙しい!
離乳食、幼児食、プレイデートやお誕生日会。
成長するにつれ
サッカー、ピアノなどの習い事、
インターのプレスクール、
学校行事のボランティア。

子供たちには
日本語にも親しんでもらいたくて、
しまじろうやこらしょにも一緒に取り組み、
こどもクラブや
日本語補習校にも通いました。


勝手のわからない香港では、
子供をきっかけに
ママ友たちとのつながりができていきました。
ママ友たちには随分と助けてもらったこと、
本当に感謝しています。

夫は、金融ビジネスマンで
月の半分ほどは海外出張で不在。
家にいるときも、
ヨーロッパや北米の朝に合わせて
夜遅くまで電話会議。

夫がいる時は、夜は子供を泣かさないように、
週末は、時差ぼけで体を休めたい夫を気遣って、
朝早くから子供たちと近くの公園に出かけて
時間を潰していました。


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